TMTのブログ

思ったことをそのまま綴ります

浪人生としてのあり方

 人生にはいろんな道があると個人的には思う。

中にはそうは思わない人もいるようだが。

 

私は浪人生だ。

非常にアンバランスな立場であり、理解されないことも多い。

 

私はある程度の大学までは合格した。

いわゆる滑り止めというところだ。

しかし、本質的にやりたいことと大学が違っていたので再チャレンジする道を選択した。

それが浪人という道だ。

 

 浪人生にもいろいろいる。

親がある大学以外許さないから浪人した。

高校時代全く勉強しなかったけど、大学は行きたいからとりあえず浪人した。

全部落ちてどこもいけないから浪人した。

 

境遇はいろいろだ。

 

そして基本的にこれらどの立場であろうとも浪人生は蔑まれることになる。

 

惨めなのだ。

 

 現役で大学に行く。

これもいろいろな場合がある。

第一志望に合格して大学に行く。

滑り止めに合格したから大学に行く。

エスカレーターで何もせずに大学に行く。

 

そして大学に行くこの行為にもいろいろな理由があるのだ。

日本の大学生の大部分、9割と言っていいだろう。

そのほとんどが就職のためである。

 

大学とは本来、専門的学問を修める場であり

学びたい者が集まっている場所だった。

 

それが今の大学生を見てどうだろうか?

勉強したくない

学問を修めることよりも友達を増やす方が重要だ

遊べるのは今しかない

遊びまくろう

 

高い授業料を払って、高等教育を受けにわざわざ4年も費やして大学に行き

そんなことを自ら望んでやっているのに、勉強したくない?

全く意味がわからない。

 

海外の大学を見て見てほしい。

彼らは勉強で手一杯だ

日本の大学生の何倍も勉強している

一生懸命に

そこで自信をつけるのだ

 

「大学に行けば就職で有利になる」

本来当然の事なのだ。

大学を出たか出てないかで本来生じることは

専門的知識や技術を習得した者の証だからだ。

 

でも、今の大学生はとてもそうは言えない。

 

 私は技術者になりたい。

そのために大学受験をする。

正直、昔は何も考えていなかった。

でもある時、受験勉強が嫌で嫌で

機械いじりや、プログラムの勉強、パソコンを使った設計など

そいうことは大好きで

それさえ出来ればいい、その勉強はしたいけど受験勉強なんてやりたくないと思った。

 

だから考え、調べた。

答えは大学に行くしかないということだった。

 

それも、自分がやりたいことは極わずかな大学のみでしかできないということだった。

私はそこに入れなければ、大学に行く意味はない。

 

やりたいことが出来る大学に行き、そこで頑張らなければ大学に行く意味がない。

就職の道具に使う人にとっての大学と

私にとっての大学とは意味が違うのだ

 

どこでもいいわけじゃない。

 

ある人は言った。

「お前は夢を語って浪人した」と

そうじゃない

私は「現実を見て浪人したのだ」

 

浪人することは楽しいことではない。

哀れに見る人もいる。

蔑むものもいるし、どこでもいいから早く大学に入れとか無責任なことを言う奴もいる。

楽しくもないのになぜ浪人すると言ってくるものもいる。

 

それは、全て先のことを考えて行動しているからだ。

 

何となくで行動してる人よりかはよっぽど自分のことを考えて生きている。

すごく充実した、自分と向き合うことのできる濃厚な時間を過ごしている。

 

大学に落ちたことは不幸なことだ、でも浪人したことは不幸ではない。